ヨロコビとかなしみ
- 飯島朋彦

- 10月15日
- 読了時間: 5分
電柵しているにもかかわらず鹿の餌場になってしまったインゲン支柱の3アーチ目が壊滅的なせいで、9月中旬から10月頭の端境期の苦しさがマシマシ死ね鹿バカ鹿。鹿馬鹿鹿鹿。
42mの長さがとれるその畑はうちが利用している中では比較的広い。今年の畑の設計では3アーチしかインゲンを作付ていない。そいつを5月24日蒔きから7月17日蒔き最終の6回戦に分けて、順次定植していったわけだが、その1/3が壊滅的ってどういうことだよと思う。
その上の畑でフェンネル採りながらふと、もうとっくに収穫を終えて乾燥豆を吊るしている状態の初めのロット、つまり1アーチ目。その一部が妙に青々しているのに目が引かれる。秋縞いんげんだ。とっくにケンタッキーが死んでいるにも関わらず、弦は頑強でまだ少しづつ実をつけていること自体には気づいていた。試しに入ってみると意外と採れる。出荷でバタバタしている日なのについ見入って夢中になってしまう。もうとっくに乾燥豆を着けている、本来なら死んでいてもおかしくない弦だ。しかしこれはと思う。若弦に勢いがある。再生しているのかなんなのか、老の花って感じでもない。そういう生態なのか?実をつけ子孫を残しても本体がそこまで弱らないのか?タイミングと肥料養分の関係?いづれにせよ生殖成長を完全に終えるどころかその実が風乾してさえいるところまで生育ステージが進んでいてもなお、栄養成長をそこそこの強さで続けている事実に驚きと感動がある。食いもん(売りモン)見つけたぞーという、今年のこの苦しいボロボロの畑の中での感動にうちふるえる。江戸時代ならおれ泣いている。400g弱ほど採れ、ありがとう秋縞と呟く。…これで生活している専業農家とはとても思えない。冷静になるとただただ惨めだ。でもこれがヨロコビだ。栽培の枠を外れたケアのさらにその先で生命の輝きに出会ってしまった。
うちは冬の出荷物が欲しい事情があって、乾燥豆も採りたい。4ロット目までは乾燥豆としても取る関係で、白インゲンだけだと寂しく、今年はウズラマメを定植しており、それが5年ほど前から自家採種で繋いでいる飛騨秋縞だ。今年は5/24蒔きの1ロット目を秋縞と、丸さやいんげんで病気に強いケンタッキーで半々にしていた。ただ、採れ始め7月下旬の段階ではこの秋縞の栽培は失敗だなと思っていた。
秋縞というだけあり、本来は9月採り以降のものなのだろう、春蒔きの早い時期の栽培は葉の茂りが過多になりがちで実付きが悪く、まさにその名の青紫の縞があまり入らない。おそらく少し涼しくなる時期にアントシアニンが働くのだろう。あと葉が茂りすぎて太陽光が当たりづらいということも関係するのだろう。ただ秋栽培にも欠点があって、この高齢地だと乾燥豆を取る段階まで生育が進まず種が継げない。だからどちらかといえば、乾燥ウズラマメを取るための作付けで、7月も数回収穫に入ったが、その後は実を太らせることにして若さや収穫は諦めていた。もちろん、収量が見込めれば採りたかったのだが、7月上旬の段階では収量がかなり微妙だったし、縞がうっすらと浮くていどの薄縞いんげん。播種ミスか採取ミスを疑うほどで間抜けな感が否めず失敗だなと。
もともとはインゲン系のスタートはモロッコインゲンだった。炭疽病に弱いモロッコインゲンのそのリスクが小さい時期は5月蒔きのスタートのタイミングで、秋縞よりは時期が適している。それ以降を炭疽病耐性の強い丸さやのケンタッキーに移行する。秋縞はスリーシスターズで細々繋いでいるのみだったが、モロッコで採る乾燥豆はあまり美しくない斑紋豆になってしまう。ここ数年なんとなくほそぼそ種を繋いできた秋縞であったが、病気に強いなという印象もあった。
この秋縞に出会うまでには紆余曲折があり、当初はイタリア品種のborlottiを栽培していた。ところがなんせ炭疽病に殺られる。3,4年粘って種だけ継いだがことごとく毎年罹患する。イタリア料理や食材に係わってきた自分の人生にとって何か諦めきれず残念に思う気持ちが勝っていた3年ほどであったが、自分が今ここの風土で愛でていけるものではなかったのだと諦めることにした時、固定種のウズラマメで出会ったのがこの秋縞だった。さやの青紫の縞が美しく、うずら豆の文様も非常に綺麗で、ときおり発現する真紫の豆は色つやに気品があり、その名前の響きもきれいだと思った。飛騨秋縞。強く美しくここに合っていて美味しい。2025年今年、君に救われたことを忘れないだろう。
一方で来季以降お別れすることになる作物もある。
花豆とインカの目覚めの二人。
花豆には強い思い入れがある。好きでいてくれるお客様も多い。
しかし暑さで本当に採れなくなってきてしまった。温暖化の影響と断定してしまってよいだろうと思う。名古屋の田代さんが好きで毎年必ず送っていた。昨年お店をお閉めになってしまったけれど、お伺いしたときのことを思い出す。とても魅力的な人だった。種もずっと自家採取でつないできたもので途切れさせるのは忍びない。しかし手数も減るなかで割ける労力もない。潮時とせざるを得ない。
インカのめざめも用意した自家採取の種イモより、収量のほうが少ない有様だ。もうどうしようもない。やりようはあったんだけれど、これも手数をその時期に割ける様子が描けなくなってしまった。種イモの販売が絶えてしまう可能性のある品種でもある。本当に収量が少ないから作り手がどんどん減っているようなのだ。だが、おそらく病気もくらっていたのだろう、種芋を継ぐことすらできない条件では、そもそも彼を繋いでいく資格が俺にはない。
8年ほど繋いできたが、販売できた年は3,4年のみで他は種を繋ぐことしかできずに徒労してきた。諦めることでその徒労を慰めようと思う。
環境の変化はかなりあると思う。それに適した出会いもある。サツマイモがおいしい。
来年はどうしようか。計画を夢想し始める時期にも、いまある。
2025/10/2の深夜に書ききれなかったものを今日。10/15





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