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朝型の生活も10年を超えるせいか、夜9時にもなれば非常に眠い。運転しなければならないともなれば、危険を感じる。飛ぶし覚束ないことがある。娘の卓球のお迎えが夜9時から9時半ころにあって、おおむね僕の役割はチビの公文を見つつ遊びつつ、お風呂に入って着替えして寝かしつけるみたいな流れで、妻が娘の迎えに行ってくれることが多いのだが、当然僕が迎えに行くことになる日もあり、今日がそれだった。

危ない自覚はあるので、今日も8時半ころから15分ほど仮眠させてもらったのだけれど、なにせ眠い。昨日までの先週末は大会で富山に娘と二人で行っており、妻は妻で外せない仕事が重なってしまい、チビも初めてのお泊りを長野市のばあさんのところへ預けていて、富山帰りに寄ってチビを引き取った関係で、家にたどり着いたのも結構遅く、今日は今日で僕も重めの出荷だった。疲労。これはしかたがない。

娘を先に寝かせたいから、先に風呂に入ってもらうが、案の定僕の方が寝落ちしていたようで中途半端な時間に起きてしまって今、深夜。風呂にはいり眼が冴えてしまう。

ブーンと風呂の水を洗濯機へ吸引する音が、静寂と心地よく暖かい疲労を伴侶にして冴えた耳に響く。この静かな時間。

濡れタオルを寝室に干すと、案の定チビは布団からはみ出している。はみチビの頬にキスをぶち込んで、妻と奴が寝ているそれと娘の布団を直して、去年の残りの小麦粉でパンを焼く。週末買い物ができなかったので明日の朝食が無い。丁寧な生活みたいな気持ち悪い話がしたいわけではない。仕方なく。製粉からちょうど1年くらいのものの感じを知りたいという事情でちょうど持って帰ってきていただけの偶然だ。パンを焼くという文面が悪さをしていてイカンのだばかちんが。おパンを焼く珍。役満だ。


妻は疲れきっていて体調もあまり良くないようだ。まあ、重なると途端に破綻手前まで追い込まれる生活に耐えてもらっていてすまんなとは思う。トタンもパタンと風に鳴き、オトンはぽかんとアルツハイマー。猛スピードで消耗する母に孫の癒し。だがしかし、ほぼyoutubeだったようで、それも致し方なし。


いつか暗闇に覆われる日々が来るとして、深夜小さなこのアパートの一室に灯る火を向こうから見たならば、それは幻のような澄んだ時間が存在することの証だと、君に伝えたい。


2025/12/09深夜


#パウル・ツェラン

#切り取れ、あの祈る手を空から目の鋏で



古いイセキトラクターの速度操作レバーは、金属疲労のせいでもう2回ほど中で折れてしまい、その都度、臼田のノーベルさんで溶接してもらっている。

前回折れたときに、部品が出てくるような代物じゃないし、もう次はないかもしれん旨の注意を受けていて、シフトチェンジの度に少しハラハラする。うちのトラクターは、古いせいか、シフトチェンジの度に、若干レバーに嫌な振動が来る。この蓄積がいつか致命傷になるのがわかっている状況だ。ちなみにトラクターの場合、ちゃんと停まってからシフトチェンジしないとすごい抵抗があって、レバーにかなり負荷がかかる。急いでいるときなどに、停まりきる手前でガチャっと弄りたくなってしまうのが人情で、クラッチ外せばシフトできる乗用車とは構造に違いがある。


今月の月初めに買い替えることになった古いノートPCも開閉部側の右隅、キーボード方面が、おそらくネジがバカになって圧着できなくなっていたのだろう、開閉時の力のかかり方がテコの原理で増幅し浮いてしまい、少しづつその浮き上がりというか、そり上がりというかが進行していって、ある時まず、画面がブラックアウトした。慌てて他のモニターに繋ぐと中身が無事なことがわかって、でもそれだと当然不便なのでどしたものかほい。グイグイ浮き上がりを押さえつけたら、モニター復活。叩いたら治った的なあれで接触不良な感じ。ゴリラテープでその反り上がりをむりに抑えつつ、開閉時には右隅を必ず押さえつけて、これ以上、反り上げが進行せぬ様、キツく我が脳内にこの動作を忘れぬ様申し付け、ノートPCどのとのお付き合いに関するセットリストの最上段に書き込んでいた。ちなみにリストのほかの項目には、キーボードはなるべく優しく打たんとバカになる。としか書いてないけれど。


うちのプレハブ冷蔵庫も10年目を迎えて開閉部の嚙み合わせが微妙にずれてきている感があり、気持ちドアを持ち上げ気味にして操作しないと締まりがちょっと怖い。

スパイダーモアはエンジンのかかりが悪く、チョークの位置に工夫がいる。

チューブ回収機のノブのプラスチックカバーが完全にイカれているので、無くさないように気を付けて運ぶ。

コンテナの真ん中に座るとデブ発見器になる。

etc...


こういうリストは微増していくものなのだろう、資材は劣化し、痛い目を見る経験は蓄積され、肉体も劣化していく。

うちの場合、生産は複雑化し、経験とともに気を付けたいポイントは増えていき、自分の中に蓄積されたremember to doリストはどこまで伝えるべきなのか悩む。その小さいことが気になるのは、確かに人間が小さいからだという罵倒は受け入れるがしかし、痛い目にあっているからなのだ。けれども、そういえば痛い目に合うまでは腑に落ちなかったという真理も存在している気がする。その一方で思い込んでいる事柄もあり、稀人来りて破壊してもらうこともあり、リストは日々微妙に書き換えられつつ、忘却に晒されてサラサラと砂の城が流れるように崩壊もしている。



冷え込む朝。

学生のころ左巻き込みでひびの入った右足小指が疼く。

子供たちが朝食を食べている隙に一服していると冴えた空気の向こうで野焼きの煙が冷えた風にゆたりゆたりと伸びて消えていく。

「けむりが、こう、ね。」

あれはなんのセリフだったか。

そうだ

ドライブインカリフォルニア

松尾スズキ。

けむりが、こう、のぼって、消えていった。


2025/10/21


















































































































































































































































































































































































電柵しているにもかかわらず鹿の餌場になってしまったインゲン支柱の3アーチ目が壊滅的なせいで、9月中旬から10月頭の端境期の苦しさがマシマシ死ね鹿バカ鹿。鹿馬鹿鹿鹿。


42mの長さがとれるその畑はうちが利用している中では比較的広い。今年の畑の設計では3アーチしかインゲンを作付ていない。そいつを5月24日蒔きから7月17日蒔き最終の6回戦に分けて、順次定植していったわけだが、その1/3が壊滅的ってどういうことだよと思う。

その上の畑でフェンネル採りながらふと、もうとっくに収穫を終えて乾燥豆を吊るしている状態の初めのロット、つまり1アーチ目。その一部が妙に青々しているのに目が引かれる。秋縞いんげんだ。とっくにケンタッキーが死んでいるにも関わらず、弦は頑強でまだ少しづつ実をつけていること自体には気づいていた。試しに入ってみると意外と採れる。出荷でバタバタしている日なのについ見入って夢中になってしまう。もうとっくに乾燥豆を着けている、本来なら死んでいてもおかしくない弦だ。しかしこれはと思う。若弦に勢いがある。再生しているのかなんなのか、老の花って感じでもない。そういう生態なのか?実をつけ子孫を残しても本体がそこまで弱らないのか?タイミングと肥料養分の関係?いづれにせよ生殖成長を完全に終えるどころかその実が風乾してさえいるところまで生育ステージが進んでいてもなお、栄養成長をそこそこの強さで続けている事実に驚きと感動がある。食いもん(売りモン)見つけたぞーという、今年のこの苦しいボロボロの畑の中での感動にうちふるえる。江戸時代ならおれ泣いている。400g弱ほど採れ、ありがとう秋縞と呟く。…これで生活している専業農家とはとても思えない。冷静になるとただただ惨めだ。でもこれがヨロコビだ。栽培の枠を外れたケアのさらにその先で生命の輝きに出会ってしまった。


うちは冬の出荷物が欲しい事情があって、乾燥豆も採りたい。4ロット目までは乾燥豆としても取る関係で、白インゲンだけだと寂しく、今年はウズラマメを定植しており、それが5年ほど前から自家採種で繋いでいる飛騨秋縞だ。今年は5/24蒔きの1ロット目を秋縞と、丸さやいんげんで病気に強いケンタッキーで半々にしていた。ただ、採れ始め7月下旬の段階ではこの秋縞の栽培は失敗だなと思っていた。

 秋縞というだけあり、本来は9月採り以降のものなのだろう、春蒔きの早い時期の栽培は葉の茂りが過多になりがちで実付きが悪く、まさにその名の青紫の縞があまり入らない。おそらく少し涼しくなる時期にアントシアニンが働くのだろう。あと葉が茂りすぎて太陽光が当たりづらいということも関係するのだろう。ただ秋栽培にも欠点があって、この高齢地だと乾燥豆を取る段階まで生育が進まず種が継げない。だからどちらかといえば、乾燥ウズラマメを取るための作付けで、7月も数回収穫に入ったが、その後は実を太らせることにして若さや収穫は諦めていた。もちろん、収量が見込めれば採りたかったのだが、7月上旬の段階では収量がかなり微妙だったし、縞がうっすらと浮くていどの薄縞いんげん。播種ミスか採取ミスを疑うほどで間抜けな感が否めず失敗だなと。

 もともとはインゲン系のスタートはモロッコインゲンだった。炭疽病に弱いモロッコインゲンのそのリスクが小さい時期は5月蒔きのスタートのタイミングで、秋縞よりは時期が適している。それ以降を炭疽病耐性の強い丸さやのケンタッキーに移行する。秋縞はスリーシスターズで細々繋いでいるのみだったが、モロッコで採る乾燥豆はあまり美しくない斑紋豆になってしまう。ここ数年なんとなくほそぼそ種を繋いできた秋縞であったが、病気に強いなという印象もあった。

この秋縞に出会うまでには紆余曲折があり、当初はイタリア品種のborlottiを栽培していた。ところがなんせ炭疽病に殺られる。3,4年粘って種だけ継いだがことごとく毎年罹患する。イタリア料理や食材に係わってきた自分の人生にとって何か諦めきれず残念に思う気持ちが勝っていた3年ほどであったが、自分が今ここの風土で愛でていけるものではなかったのだと諦めることにした時、固定種のウズラマメで出会ったのがこの秋縞だった。さやの青紫の縞が美しく、うずら豆の文様も非常に綺麗で、ときおり発現する真紫の豆は色つやに気品があり、その名前の響きもきれいだと思った。飛騨秋縞。強く美しくここに合っていて美味しい。2025年今年、君に救われたことを忘れないだろう。


一方で来季以降お別れすることになる作物もある。

花豆とインカの目覚めの二人。

花豆には強い思い入れがある。好きでいてくれるお客様も多い。

しかし暑さで本当に採れなくなってきてしまった。温暖化の影響と断定してしまってよいだろうと思う。名古屋の田代さんが好きで毎年必ず送っていた。昨年お店をお閉めになってしまったけれど、お伺いしたときのことを思い出す。とても魅力的な人だった。種もずっと自家採取でつないできたもので途切れさせるのは忍びない。しかし手数も減るなかで割ける労力もない。潮時とせざるを得ない。

インカのめざめも用意した自家採取の種イモより、収量のほうが少ない有様だ。もうどうしようもない。やりようはあったんだけれど、これも手数をその時期に割ける様子が描けなくなってしまった。種イモの販売が絶えてしまう可能性のある品種でもある。本当に収量が少ないから作り手がどんどん減っているようなのだ。だが、おそらく病気もくらっていたのだろう、種芋を継ぐことすらできない条件では、そもそも彼を繋いでいく資格が俺にはない。

8年ほど繋いできたが、販売できた年は3,4年のみで他は種を繋ぐことしかできずに徒労してきた。諦めることでその徒労を慰めようと思う。


環境の変化はかなりあると思う。それに適した出会いもある。サツマイモがおいしい。

来年はどうしようか。計画を夢想し始める時期にも、いまある。



2025/10/2の深夜に書ききれなかったものを今日。10/15









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