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アマランサスの横、条間12cmにセルバチコを蒔き、その横、条間12cmで極細ネギを2条、条間8cmで蒔く。さらに、その隣、条間8cmにマイクロ人参をラディッシュミックスで蒔く。同じ列に、奥だけコリアンダーを蒔く。なんとなく、畝幅60cmのベットに収まるようにして、跨げる畝を目分量で作り、その幅で管理するイメージをもつ。その隣のベットにマイクロリーフを蒔き、畝の端にミストエースのダブルウイングを置けるように設定する。

マイクロリーフを適時収穫、管理、播種、灌水しつつ、マイクロコリアンダー、ラディッシュ、マイクロネギ、ベビーアマランサスの順に収穫し、セルバチコとミニ人参の生育を待つ。

その隣のハウスでは、春一番の葉物収穫を終えたベットから順次グラスジュムコーンを緑肥イメージで蒔く。もちろん、ヤングコーンを採る目的もあり、密度が粗くなるので、条間にディルやピーテンドリルを蒔く。休ませているつもりのハウスに有機物を多くすき込む為に考えたやり方だ。

初春にマイクロ人参の種入れに、ラディッシュを間違えて混入してしまった。

そのラディッシュは、どういうわけか、キスジノミハムシの被害がほぼ無い。もちろん、偶然かもしれない。だが、人参にキスジノミハムシが舐められたことはないのだから、ヒントはあったのだと捉えることができる。

過去、積極的に種を混合した経験がある。そのときはチーマと蕪を、ある容量割合で混合し、チーマを分散させようと試みた。結果はカブの収穫の際にチーマが抜けてしまうので散々だったが、なにか得るものはあったのだと評価できる経験になった。…のかもしれない。

スリーシスターズは今年もバージョンを変えて行っている。

今のところ、積極的な意味合いを発見できてはいない。

ただ、ひっぱりくんがかなり使えることが判明し、それを、やはり、過去にかぼちゃの通路で一作やろうと無理した経験と結びつけようとしている自分がいる。

そう、かぼちゃの通路が問題なのだ。その問題にグッドデザインを持ち込める可能性とその欲望に興奮している。


蛇の道梅雨空金曜一人ふけり6月の



おふくろの作る卵焼きは砂糖を入れた甘いタイプのものだった。

親父が甘いタイプが好きだったから。

俺は醤油ベースのしょっぱいタイプが好きだから、不満だった。

お弁当の卵焼きをいつも同級生のしゅうぞうくんと交換していた。

しゅうぞうくんは甘い卵焼きが好きで、彼の家の卵焼きは醤油ベースタイプだったのだ。


その後いい大人になってから振り返って、おふくろの作る卵焼きが甘かったことは、いい話だと捉えていたし、今でもそれ自体そうあってくれたこと、つまり、自分の子供ではなくて、連れ合いの好みを尊重してくれていたことを、良いことだと捉えて、自分の持っている物語の中では、完結したひとつの話になっている。


妻と結婚する前に、この話を妻にしたことがある。

自分は、親より子より、なにより、自分の連れ合いを尊重するつもりでいるし、そういうつもりの話として、卵焼きが甘かった話をしたことがある。おれもそのように、妻を尊重するつもりだと。

で、落ちを先に言ってしまうと、妻の卵焼きは甘い。


なんのことはない。子供がそのほうが好きだから。


妻は、俺の物語に回収されることをひどく嫌う傾向にある。

たぶん、俺のことがそんなに好きではないのだろう。

いや、好きか嫌いかはこの際どうでもよいのだが、俺の物語に回収されないようにしている節に腹が立つこともあったし、もう少し歩み寄ってくれても良いのではないかと切なくなることもあったのだが、この人のこの傾向を、最近、面白いと感じている。

物語に対する距離。


例えば、俺の物語は、真実を欠いているかもしれない。

おふくろが単に甘い卵焼きが好きだっただけなのかもしれない。事実としては、親父は甘い卵焼きが好きだったけれど、そこの語りの部分のつながりは、もう、曖昧なのだ。

子供が好きだからと書いたけれど、うちの子は、俺の作るしょっぱいタイプの卵焼きも、まあ、食べる。ここにも文章の流れには真実を欠いている点がある。あいつらは、どっちも食べる。

妻は、とくに意図しているわけではなく、卵焼きというものは甘く作るものだと認識しているだけの可能性もある。


得体が知れないというと大げさだけれども、

自分の語る思いとは別に、たとえ家族であっても、少なくとも、かなりバラバラに生きている。じぶんに一番近い人間だからこそ、自分のくだらない物語に回収してしまわないように、そのような得体のしれなさを発見できるよう、観察しようとしている自分がいる。得体のしれなさは、物語に対するアンチテーゼだ。その驚きは解釈を拒否してくるから新鮮だし、物語は解釈の拘束とでも言ったらよいか、つまりは呪縛を意味する。


先だって濱口竜介『悪は存在しない』を観た。

あの映画について、なにか語れるようなシネフィル的な素養も積み重ねも、もう、無いけれど、「絵に書いたようなクズばかりで安心しました」と語る黛の存在と、ラストの飲み込みづらさが今、頭の中に残っている。

都合の良い物語は息苦しいときがあるんだと。

得体が知れないなあと。

黒沢清の『ニンゲン合格』を、なぜか思い出しながら深夜。


#『悪は存在しない』















ほぼ年一回しか書かないブログにたどり着いてくださった方、ありがとうございます。

個人的な出来事も

事業としての有り様も

かなり動きのある年でした。


・3月に、2歳で生き別れた戸籍上の実父が亡くなり、それに付随する出来事があった。

・スタッフという言葉とそれに付随する関係性がたいへん嫌いになり、協力者と呼ばせてもらうことにした今年、今までで一番多くの人に協力してもらった。

・秋の最終から、大きな流通向けの出荷を辞めた。


いままで、「フェアである」ことに価値観の重きを置いて生きてきたつもりだった。

人との関係性には特にそのことを意識しているつもりだった。そもそもフェアではなくなりやすい利害関係や依存関係、雇用関係にこそもっとも注意を払ってそういうふうにならないように、線を引くことを重視してきた。つもりだった。

だが、わたしは、その生き別れた実父に対してフェアであったことは、ついに、一度として無かった。

彼の言葉を聞く機会を持たなかった。

そのように、積極的に自分の意志で選択した。

自分の意志で?

決めたことだ。

だが。

どの口がフェアでありたいなどと言うのだろう。自嘲せえ。とも思う。


離別当時のわたしと同じ2歳の息子を抱くわたしは、さらに乳飲み子であった妹を抱えて不安極まりない状況に置かれた母のとなりで、彼の言葉を聞くことは出来なかったおれはこんなに可愛いけどなぁ俺の息子は捨てられた。


ガザで自分の子供がバラバラに吹き飛んだら俺は、イスラエルを呪う。

ヴィクトール・フランクルに運ばれて、3月の日陰の畑で氷に閉ざされたマルチを剥ぐよう、鍬をふるいながら、ナチスを呪う。

はじまりに言葉を見つけられなければ無かったことになってしまう。それ以前は?


スタッフではない。協力してくれる人なんだ。その人の人生の一部を貸してもらえないかと、プロポーザルして、その時が来れば、離れていく。力を貸してくれた人々に感謝。


体調不良のチビに添い寝してブラックフライデーを利用しそびれた朝のブルー・サタデイに。


2023/12/02早朝

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