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とうもろこしとインゲンはアンデスの夢を見るか。

持続可能性というキーワードは今、再生可能性というのがトレンドらしい。トレンド!クソでも喰らえ。

不確かな天候、不確定要素が多く、植物の成長を待つ時間を必要とする仕事。

堪え性がなく長続きしない自分にできるのかと、自分が自分を攻め立てたりもする。

3歩進んで(ホントかよ?)2歩怠け後退し、工夫して、また1歩進んだと信じ、日々を送る。

畑に出てしまえば、考えることは、実はあまりない。やるべきことはそこにあり、気付きの源もそこにある。

草を1っぽんでも多く抜きたいし、来季へ向けて片付けなければいけない畑があり、肥料を蒔き、種を蒔き、水をくれてやり、収穫しなければならない。

時間も空間も必要で物理的な制約のある仕事。

なぜこの場所にいたヨトウムシの大群はいなくなって、あそこはアブラムシだらけになってしまったのか。ニジュウヤホシテントウの大群はいつ消えて、トマト後地にカブラヤガはなぜいないのか。でもその現象は再現性があるのか。多様な生物の関わる曼荼羅的世界。いま、僕のイメージにあるのは、曼荼羅的世界のその時々の大きな流れには逆らわず、ほんの少しだけ人間にとって都合の良い方向に竿さすこと。殺し尽くさない。都合良すぎないこと。ほどほどに再生産可能に(苦笑)。

土質や気象条件、病害虫の種類など、所変わればでもあり、究極的にはそのときその畑のローカルな情報を感度良く捉えて最適化するのがこの仕事。非常にローカルな知の技術。タマネギの種を8月15日に蒔くのか、20日に蒔くのか。17日くらいにしておいたほうが良いのではないか。それぞれの場合で播種量の微調整。この地域だからその差が重要な意味を持つということ。その経験の蓄積。


今年、とうもろこしにインゲンの蔦を這わせる栽培を試した。

現象としては失敗。

這わせたとうもろこし2種類に対して、植え付け時も間違っていただろうし、スイートコーンに関してはそもそも這わせてしまうと収穫も大変。背が低いので結果的にインゲンの葉が勝ち、成長阻害を起こしてしまった。

やらなければいいんじゃない?

そのとおりだ。

合理性がうすい。

でも、この栽培をどうにかうまくできないかと思っている。

経営的なメリットは、あまり、ない。

けど、アンデスの農法としてあったと聞けば、ロマンを感じる。

んー

ところで経営ってなんだ?僕にとっては、農業は経営だからと割り切れないところがある。環境破壊にも環境保護にも両面に傾く可能性のある仕事。

僕は自分が耕していた土地が1000年後緑あふれる場所であると夢想することにロマンを感じるし、未来に対してそのように在りたいと思っている。それこそ持続的な(苦笑)土地利用。

生き方そのものに関係している。僕らはボヌムテッレだから。そもそも土を良い状態に維持出来なければ「大地の良きもの」を提供できない。そうでなくなったときの農業は違う名前を必要とするはずで、すくなくとも僕がこの屋号で行っている仕事ではなくなり、違う可能性に向けて走りつづける人類に心から幸あれヤッホー!


話を戻す。

アンデスにおいて重要な作物であったじゃがいもに貴重な肥料(燃料でもあったためらしい)である家畜の糞尿を優先的に用いるため、とうもろこしにはインゲンをという栽培は理にかなっている。マメ科には窒素固定菌がつく。これらのサイクルをとおして、レコンキスタ以前のアンデスでは持続的な農業が行われていたと言っていいと思う。

また緑肥の利用はここ数年の極端な雨という条件を土作りの面から耐えるために有効な栽培体系でもある。

さて、僕が農業を営んでいる佐久穂町の条件では、冬が早く畑が狭く法面が広いため、畑1枚をいかに効率よく使うかが重要になる。だから、この辺の農家仲間内で緑肥を組み込んだ栽培形態を積極的に取り入れている人は少ない。畑が半年近く使えなくなるからだが、そこで、ここにとうもろこし支柱インゲン栽培を持ち込めれば、緑肥を組み込むことができるのではないかという算段だ。インゲンはその年に収穫物として採る栽培。仮に通常の支柱栽培より収量が低くても、緑肥を組込めるメリットは大きい。うまくやれれば、支柱を段取りする手間も省ける。大風の被害が比較的少ない中山間地のメリットを活かす。それに僕は出会ってしまった。グラスジェムコーンに。

グラスジェムコーンはフリントコーンと呼ばれる粉にするためのトウモロコシなのだが、木がスイートコーンに比べてかなり大きく、頑丈に育つ。初期生育も早い。食用には使いづらいだけなのだけれど、なんとなく出会ってしまったことを繋いでいきたいと思っていて、ピンときたのが、アンデス方式というわけだ。

結局ことしの栽培では失敗したのだけれど、グラスジェムコーンについては、豆の方が負けすぎたという状況で、とうもろこしの木は頑丈に屹立していてくれていたので、播種時期の調整で再考の余地ありと見ている。

2021年のこの栽培。株間と通路と豆の播種タイミングはどうしたらよかろうか?

アンデスの高地ではどんなトウモロコシにインゲンの蔦は這っていたのだろう?紫外線の強そうな照りつける太陽に思いを馳せる。

来季も楽しみでしょうがない。


2020年11月14日



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