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東日本大震災から10年が経った。

自分は語るべきものがあるわけではないけれど、節目にその日のことを書いておくことにする。

地震が起こったときは、恵比寿の喫茶店で打ち合わせの最中だった。

恵比寿を出た後、どういう経緯だったのかは忘れたのだけれど、徒歩で取引先の人たちを訪ね歩いた。 途中疲れ果てて、赤坂の富士そばで温かいそばを食べた。

結構遅い時間帯だっと思うけれど、店内は帰宅困難者らしき人々が沢山いて、皆黙って食事をしていた。店員さんたちはいつもの風情で黙々と注文をこなしてくれていた。

とてもありがたかった。ごちそうさまでした。ありがとうございましたと言って、店を出た。

住んでいたアパートはたまプラーザが最寄りだったから、自分も帰宅困難者だった。渋谷あたりまで歩いてから、これはいよいよ帰れそうにないぞという人混みになり、取引先のレストランを訪ね歩きながら始発までやり過ごすことにした。

多分、みんなの無事を確認したかったのだと思う。というより、自分は心細かったのだと思う。


レストランに関係して生きてきて、今もレストランに関係させていただいて、生きている。

あの日、揺れの後も、ほとんどのレストランは営業していた。みんな帰れないかもしれなかったのに。


光を灯し、人々が集い、食事を提供する温かい空間で、あの災害の日も私は救われた。

未だコロナ禍の最中にあって、集えないということの心寂しさが、実店舗のありがたさに気づくきっかけになればと思う。というか、肌感覚として心地よくなれる空間にいるという体験がいかに自分の人生を豊かにしてくれているのかに思いを馳せる。自分が関係していたいもの、守りたいものを守る努力を続けようと思う。


あの日富士そばで食事を提供してくれたひとたち

あの日訪れたレストランで相手になってくれたひとたちに、改めてありがとう。


2021年3月13日



このBLOGが商売っ気がなくていい加減どうしようと思っています。

で、考えたら仕事のことをあまり書いていない。イタリア野菜作るのが好きだったりの説明というか、自己紹介的なことをあまりしていないことに気づきまして、書きなぐりました。

今回は、なんでイタリア語?というか、イタリアの食文化なのか私とボヌムの興味が。というところの自己紹介的な文章です。より一層商売っ気のない文章になるかもしれませんがお付き合いくださいますと嬉しいです。


えー

中学高校と、どうしてもどうしても英語が嫌いで、英語が自分に強いると勝手に感じていた人格が嫌いで、要するに肌に合わなくて、その人格が。

俺だけ?なんだろう。無理にでもはーい(Hi)!って言ってなきゃいけないような気になってしまって、どうしてもその人格の変更が辛い時期で、やりきれなかった。

で、わたしは京都で大学生活を送るんですけれど、物書きになりたくて芝居をしていまして、下手な脚本書いたり、役者もやったりなどと、日の光なんて見れないぜアンダーグラウンド。はじけらんねえぜオルタナティブ。な日々に鬱屈と性欲と自己嫌悪と間抜けと自堕落と怠惰と傲慢を混ぜてシェイクしたような涙で前が見えなくてそんなボクチンは10cm顔をあげようね♥と自分に言ってあげたりしながら、ほとんど躁鬱手前の2000年代前半を映画を観たりして、ぼんやりすごしていました。

そんな頃の彼女の助言で、サービスの仕事をすると人間的にとても勉強になるから(お前ヤバいから)ということで京都でバイトに入ったイタリアンレストランで出会ったのがイタリア語なんですけど、あんまりそのー、無理な人格変更を感じなかったんです。

って書くとまるでイタリア語が話せる人のようですけど、話せません。料理用語と食材用語と挨拶とスラングしか知りませんけども。

それに音でほぼ綴りまでわかるという入り口の手軽さとかが良かったんですけども。


その後仲の良いイタリア出身の友達が二人出来たり、シェフの森さんに良くしてもらうなど好運な出会いのお陰で、まずワインが面白いなと思ってぜんっぜん飲めないけど、少しづつ勉強していって、そこでそのぶどう品種の多さに驚いたわけです。

すごく乱暴にまとめると、フランスのエレガンスの極みの様なワインの造りに対して、もっと土着の物への偏愛によるローカルな作りの文化といいますか。(2000年ころの当時はガレージワインみたいなブームは、たぶんまだ無くて、フランスのガレージ的なのはあまり入ってきてなかったんだと思います。フランスワインをディスっているわけではございません悪しからず。)

だって国際品種なんて両手の指で数えられるくらいのものだけど、イタリアのぶどう品種は3000あると言われているくらいですから。

もともとローマ帝国の中心ですから、世界の中心だったところですけれど、そんな国が、イタリア料理なんて存在しない。あるのは20州の、いやそれどころかコムーネ毎の料理だけだ。否マンマの料理だけだなんて言われて、おまんまなだけに、なんてローカルな偏愛に満ちた食文化。なんだろうこの魅力は!と。英語(アメリカ)は世界と俺の人格まで無理にねじ曲げようとしてやがりやがるのにも関わらず(←偏った憎しみすなわち偏憎。偏憎は炎上の素。)、このオルタナティブ。最高でしょう。最高。


オルタナティブウェイオブライフ。英語だけど。fuck改めcazzo。

という思考の流れのあれがこうなってイタリア文化というか、testadicazzoというか、ローカル主義者というか、オルタナティブなあり方を愛する様になりまして、わたくしは彼の国の文化がとても好きになってしまったのです。これは安易に多様性とか言ってしまうと急に政治的になってしまって嫌でして、愛ですね。偏愛。偏愛の文化。そこからみた日本の文化、照葉樹林文化、寒冷地の文化、島国の文化、信州の文化、北信の文化、佐久の文化、諏訪の文化、わが家の文化、自分はどこから来てどこへ行こうとしているのか。そういう興味。結局の所自分にしか興味がないとも言えますけども。

いちおう、西洋哲学の勉強を専攻してましたので、やっぱり大陸一神教文化背景と島国アニミズム文化背景では違うわけで、どちらがいいとか悪いとかではなくて、鏡に丁度いいといいますか、良さと悪さを両方見た上で現状に根ざしながらより良い方へ行きたい。身内のサビを落とすなり磨くなり襟を自ら糺すのが良き道やろと。誇りとホコリが叩けば一緒じゃアホが粋がれ情けないやろおんどりゃぁがあがあ。


この文章がどこへ行こうとしているのかよくわからなくなってきましたが、わたくしが鬱屈としたルサンチmanから偏愛主義者へ変態しようともごもご動いているきっかけを与えてくれた興味の対象がイタリアの食文化なのでしたとお伝えしたく、今回のブログを書きました。

なので今でもわたしのInstagramのタグはなるべくイタリア語になってます。

愛だよ愛。 偏愛を語れ!


佐久臼田のpagopagoっていうパチンコ屋が、むしり取る気満々で好きさ。


2020/11/29



持続可能性というキーワードは今、再生可能性というのがトレンドらしい。トレンド!クソでも喰らえ。

不確かな天候、不確定要素が多く、植物の成長を待つ時間を必要とする仕事。

堪え性がなく長続きしない自分にできるのかと、自分が自分を攻め立てたりもする。

3歩進んで(ホントかよ?)2歩怠け後退し、工夫して、また1歩進んだと信じ、日々を送る。

畑に出てしまえば、考えることは、実はあまりない。やるべきことはそこにあり、気付きの源もそこにある。

草を1っぽんでも多く抜きたいし、来季へ向けて片付けなければいけない畑があり、肥料を蒔き、種を蒔き、水をくれてやり、収穫しなければならない。

時間も空間も必要で物理的な制約のある仕事。

なぜこの場所にいたヨトウムシの大群はいなくなって、あそこはアブラムシだらけになってしまったのか。ニジュウヤホシテントウの大群はいつ消えて、トマト後地にカブラヤガはなぜいないのか。でもその現象は再現性があるのか。多様な生物の関わる曼荼羅的世界。いま、僕のイメージにあるのは、曼荼羅的世界のその時々の大きな流れには逆らわず、ほんの少しだけ人間にとって都合の良い方向に竿さすこと。殺し尽くさない。都合良すぎないこと。ほどほどに再生産可能に(苦笑)。

土質や気象条件、病害虫の種類など、所変わればでもあり、究極的にはそのときその畑のローカルな情報を感度良く捉えて最適化するのがこの仕事。非常にローカルな知の技術。タマネギの種を8月15日に蒔くのか、20日に蒔くのか。17日くらいにしておいたほうが良いのではないか。それぞれの場合で播種量の微調整。この地域だからその差が重要な意味を持つということ。その経験の蓄積。


今年、とうもろこしにインゲンの蔦を這わせる栽培を試した。

現象としては失敗。

這わせたとうもろこし2種類に対して、植え付け時も間違っていただろうし、スイートコーンに関してはそもそも這わせてしまうと収穫も大変。背が低いので結果的にインゲンの葉が勝ち、成長阻害を起こしてしまった。

やらなければいいんじゃない?

そのとおりだ。

合理性がうすい。

でも、この栽培をどうにかうまくできないかと思っている。

経営的なメリットは、あまり、ない。

けど、アンデスの農法としてあったと聞けば、ロマンを感じる。

んー

ところで経営ってなんだ?僕にとっては、農業は経営だからと割り切れないところがある。環境破壊にも環境保護にも両面に傾く可能性のある仕事。

僕は自分が耕していた土地が1000年後緑あふれる場所であると夢想することにロマンを感じるし、未来に対してそのように在りたいと思っている。それこそ持続的な(苦笑)土地利用。

生き方そのものに関係している。僕らはボヌムテッレだから。そもそも土を良い状態に維持出来なければ「大地の良きもの」を提供できない。そうでなくなったときの農業は違う名前を必要とするはずで、すくなくとも僕がこの屋号で行っている仕事ではなくなり、違う可能性に向けて走りつづける人類に心から幸あれヤッホー!


話を戻す。

アンデスにおいて重要な作物であったじゃがいもに貴重な肥料(燃料でもあったためらしい)である家畜の糞尿を優先的に用いるため、とうもろこしにはインゲンをという栽培は理にかなっている。マメ科には窒素固定菌がつく。これらのサイクルをとおして、レコンキスタ以前のアンデスでは持続的な農業が行われていたと言っていいと思う。

また緑肥の利用はここ数年の極端な雨という条件を土作りの面から耐えるために有効な栽培体系でもある。

さて、僕が農業を営んでいる佐久穂町の条件では、冬が早く畑が狭く法面が広いため、畑1枚をいかに効率よく使うかが重要になる。だから、この辺の農家仲間内で緑肥を組み込んだ栽培形態を積極的に取り入れている人は少ない。畑が半年近く使えなくなるからだが、そこで、ここにとうもろこし支柱インゲン栽培を持ち込めれば、緑肥を組み込むことができるのではないかという算段だ。インゲンはその年に収穫物として採る栽培。仮に通常の支柱栽培より収量が低くても、緑肥を組込めるメリットは大きい。うまくやれれば、支柱を段取りする手間も省ける。大風の被害が比較的少ない中山間地のメリットを活かす。それに僕は出会ってしまった。グラスジェムコーンに。

グラスジェムコーンはフリントコーンと呼ばれる粉にするためのトウモロコシなのだが、木がスイートコーンに比べてかなり大きく、頑丈に育つ。初期生育も早い。食用には使いづらいだけなのだけれど、なんとなく出会ってしまったことを繋いでいきたいと思っていて、ピンときたのが、アンデス方式というわけだ。

結局ことしの栽培では失敗したのだけれど、グラスジェムコーンについては、豆の方が負けすぎたという状況で、とうもろこしの木は頑丈に屹立していてくれていたので、播種時期の調整で再考の余地ありと見ている。

2021年のこの栽培。株間と通路と豆の播種タイミングはどうしたらよかろうか?

アンデスの高地ではどんなトウモロコシにインゲンの蔦は這っていたのだろう?紫外線の強そうな照りつける太陽に思いを馳せる。

来季も楽しみでしょうがない。


2020年11月14日



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