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振り返り

2022年が間もなく終わる。

とても目まぐるしかった。

今シーズン終わりと、ここから春までにかけて、9枚約1町歩を地主さんにお返しすることにした。

今まで、家族との時間を作るためにスタッフで居てくれる人をなんとか確保しなければと思い込んでいた。スタッフにいてもらうことで自分の時間を作ろうと、独立以来7年間、ずっとそう思い込んでいたし、そのために規模を広げて売上を上げてと努力してきた。


それを止めることにした。

スタッフを養うための仕事と言う位置づけのものを止めることにした。

自分には出来なかった。

遠回りをしたとは思わないが、端的に間違っていた。

理由はいくつもある。

だが、理由は書かない。

自分は幸運なことに、この農業という仕事を通して、自分のやっている農家の仕事を通して、やりたい方向性が明確にある。探究していたいフィールドがある。この人に恥じない仕事をしたいと思う尊敬する人がいる。この人に美味しいと言われていたいし、裏切るような仕事はしたくないと心から思う。このひとの期待に応えていけるような仕事をしたいと、心から思えるお取引先さまがいる。

自分は、自分の知り合った人々のために仕事をしている。というより、それ以外の形で農業を生業にする理由が、自分には、初めから無かった。

生きるためだけであれば、他の仕事をしている。

シンプルに自分の欲望を見たとき、無理のあったところに非常に大きな労力を割いていたことがわかった。もう十分だ。そういう仕事は、やめよう。


今年のグラスジェム豆カボチャ畑の成り行きの写真を貼り付けた。

アンデスの風景であると、勝手に思いこんでいる風景を見てみたい。大成功はしなかった。失敗とも言い切れないが、豆ととうもろこしの関係はよくなかった。改良していく。

その風景を作っていこうと思う。

Cultural appropriation

文化盗用に付いてぼんやりと考える。

はたしてこれは文化盗用だろうか。

アンデスの風景は見たことがない。

きちんと調べても居ない。

実際にとうもろこしとカボチャとインゲンを同時に栽培することはあるだろうか?

どこかの本で読んだ話をそのまま受け取って、アンデスの風景であると、僕が言っているだけだ。

それは、僕の願望であるとも言える。

とうもろこしとカボチャとインゲンが、一つの畑で共存していてほしいのだ。その風景が見たい。それはとても面白いから。

ことしのカボチャが最高に美味しい。

とうもろこしは屹立し、豆はハナマメを除いて一応、ちょっとだけ絡んでくれた。

とうもろこしは台風シーズンにやはり一部倒れ、乾燥豆は満足には採れなかった。ハナマメは地べたで繁茂した。

だが、カボチャは美味かった。

素晴らしいじゃないか。

「今年は天気が良かったから、カボチャが美味しいんだよ。カボチャだけの畑にしたら、もっと収量もとれて、きっともっと美味しかったと思うよ。」

それは、一面では事実だが、事実以外の何物も僕にもたらさない。

僕の中では、この試みはやる価値のあるものだ。その、まだ見ぬ風景が、とても美しいから。

だから、栽培方法を調べてというよりも、その絵に至るまでを純粋に楽しみにしたいという欲望でやっている。

過酷な高冷地農業の生きる知恵を体現していきたい。

それはたとえば、ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」

カイアが庭に植えたカブの葉っぱを想像すること。

ターニップかルタバガがおすすめだよと、僕はカイアに教えるだろう。


アンデスへの憧れとリスペクト。この土地でやれることへの探究心。

気候風土が違うので、そもそも、そのままやれない。マーケットも違う。伝聞から得たインスピレーションでやっていること。さすがに文化盗用とは言われないと思うけど、でも、この「語り」は文化盗用的なのかもしれないとは、思う。アンデスのロマンを勝手気ままに語っている。エキゾチズムでもある。

今年、料理をする機会を得たが、そこについてこそ、盗用的であるかもしれんと、ふと、気おくれすることがある。ただ、その僕の中にある気後れは、イタリアの文化に対してではなくて、主に日本で活躍しているお取引先様含む、日本の料理人に対してだったりする。「日本」で飲食店を経営するという困難と立ち向かう料理人や経営者に対しての気後れというか、後ろめたさがある。リスクを負って店を構え、お客様との関係を築いていくレストランという仕事、その文化。その文化に対する裏口入学的な自分の立ち位置。

自分は、あくまでも、いち農家であり、一農家として生きていく。

たまたま、この街で生きていて、この街を好きでいたい。周囲の人たちと何かできることをして、関わり合って声を掛け合って、孤独に寂しくならずに生きていきたい。その機会にとびついた。自分が愛してやまないイタリア料理とイタリアの文化を、自分の仕事と絡めて表現する喜びにはしゃいでいる。

軸足を勘違いするつもりはない。

わたしは農家だ。

この話、オチをつけられないんです。私。勉強不足。

ただ、山根那津子さんという方の記事がシンプルで良かったので紹介させください。



記事からの引用

ー私たちはみな、生きている上でその濃度に違いはあっても、常にマイノリティであり同時にマジョリティでもある。それは誰しもが「盗用」してしまう可能性を持っているということです。

ならば、ひとたび批判が起きた場合に、真摯に指摘に耳を傾けて学び、誤りがあった場合には反省と是正を恐れないことが必要で、「文化の盗用」という言葉が社会に求めているのはその姿勢に他ならないのではないかー



誰かを傷つけるのだとすれば、耳を傾けるし、真摯であろうと思う。

だが、自分のインスピレーションと欲望に蓋をするつもりはない。


2023年が皆様にとって良い年でありますよう!!!



2022/12/31大晦日



参考資料というか読んだもの

「ザリガニの鳴くところ」 ディーリア・オーエンズ

「文化の盗用」が問題視されている理由 山根那津子

the Bcorp handbook ライアン・ハーニマン ティファニー・ジャナ



https://www.bonumterrae.jp/post/とうもろこしとインゲンはアンデスの夢を見るか。






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