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ウェブサイトつくりの曲折

更新日:2020年4月16日

 たしか昨年の10月だったと思うのだが、そろそろWEBサイトでも作ろうかという話をデザイナーの山口さんにしたまま、その後ズルズルと日々の現場に追われる+軽減税率と受発注システム導入と青色申告確定申告で1月も後半。からのコロナ禍。

 これは本当にまずいことになった。。。と。むしろ隠れているくらいがうちのスタイルにはちょうどよいと思っていたし、フェイスブックページくらいは作っていたものの、アピールと言うにはあまりにお粗末な感じでいたのだが、脳に汗かきそうなほど考えに考えて、もはやお世話になっているレストランさん達の影に隠れているだけでは彼らに恩返しができないし、うちだってどうなるかわからない。そもそもこれはあまりにも強烈な破壊的事態だという状況で、自分たちが何者であるのかという根本から問い直すことになった。正直相当追い詰められたし、脱しているわけではもちろんないのだけれど、幸いなことに山口さんがロゴ作成とホームページのプロジェクトを急発進で進めてくれることになり、このような形でこぎつけることができ、いまは少しホッとしています。

 今回改めて自分を見つめ直す機会になったのだが、つくづく自分は言葉の人間だなと感じる。そう、言葉なんです。

言葉を探して来ないと先に進めない。しっくり来るところを手探りして身に寄せてこないと本当に気持ち悪い。

ここ1週間程は、スタッフの二人に畑作りに動いてもらったおかげで、言葉探しに集中することができた。

池上さん、谷本さん、ほんとうにありがとう。

そして作業過程で行き着いた「言葉」をロゴ制作に活かす忍耐をしてくれた山口言悟さん。

言葉探しに付き合ってくれたボヌムテッレの名付け親で友人のイザベラ・ディオニシオさん。

深く感謝致します。

長くなるので今日はこのへんで。 言葉探しを何故していたのかというところと、たどり着いた言葉については次の機会に。

2020/04/16





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