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なんでイタリア語?

執筆者の写真: 飯島朋彦飯島朋彦

このBLOGが商売っ気がなくていい加減どうしようと思っています。

で、考えたら仕事のことをあまり書いていない。イタリア野菜作るのが好きだったりの説明というか、自己紹介的なことをあまりしていないことに気づきまして、書きなぐりました。

今回は、なんでイタリア語?というか、イタリアの食文化なのか私とボヌムの興味が。というところの自己紹介的な文章です。より一層商売っ気のない文章になるかもしれませんがお付き合いくださいますと嬉しいです。


えー

中学高校と、どうしてもどうしても英語が嫌いで、英語が自分に強いると勝手に感じていた人格が嫌いで、要するに肌に合わなくて、その人格が。

俺だけ?なんだろう。無理にでもはーい(Hi)!って言ってなきゃいけないような気になってしまって、どうしてもその人格の変更が辛い時期で、やりきれなかった。

で、わたしは京都で大学生活を送るんですけれど、物書きになりたくて芝居をしていまして、下手な脚本書いたり、役者もやったりなどと、日の光なんて見れないぜアンダーグラウンド。はじけらんねえぜオルタナティブ。な日々に鬱屈と性欲と自己嫌悪と間抜けと自堕落と怠惰と傲慢を混ぜてシェイクしたような涙で前が見えなくてそんなボクチンは10cm顔をあげようね♥と自分に言ってあげたりしながら、ほとんど躁鬱手前の2000年代前半を映画を観たりして、ぼんやりすごしていました。

そんな頃の彼女の助言で、サービスの仕事をすると人間的にとても勉強になるから(お前ヤバいから)ということで京都でバイトに入ったイタリアンレストランで出会ったのがイタリア語なんですけど、あんまりそのー、無理な人格変更を感じなかったんです。

って書くとまるでイタリア語が話せる人のようですけど、話せません。料理用語と食材用語と挨拶とスラングしか知りませんけども。

それに音でほぼ綴りまでわかるという入り口の手軽さとかが良かったんですけども。


その後仲の良いイタリア出身の友達が二人出来たり、シェフの森さんに良くしてもらうなど好運な出会いのお陰で、まずワインが面白いなと思ってぜんっぜん飲めないけど、少しづつ勉強していって、そこでそのぶどう品種の多さに驚いたわけです。

すごく乱暴にまとめると、フランスのエレガンスの極みの様なワインの造りに対して、もっと土着の物への偏愛によるローカルな作りの文化といいますか。(2000年ころの当時はガレージワインみたいなブームは、たぶんまだ無くて、フランスのガレージ的なのはあまり入ってきてなかったんだと思います。フランスワインをディスっているわけではございません悪しからず。)

だって国際品種なんて両手の指で数えられるくらいのものだけど、イタリアのぶどう品種は3000あると言われているくらいですから。

もともとローマ帝国の中心ですから、世界の中心だったところですけれど、そんな国が、イタリア料理なんて存在しない。あるのは20州の、いやそれどころかコムーネ毎の料理だけだ。否マンマの料理だけだなんて言われて、おまんまなだけに、なんてローカルな偏愛に満ちた食文化。なんだろうこの魅力は!と。英語(アメリカ)は世界と俺の人格まで無理にねじ曲げようとしてやがりやがるのにも関わらず(←偏った憎しみすなわち偏憎。偏憎は炎上の素。)、このオルタナティブ。最高でしょう。最高。


オルタナティブウェイオブライフ。英語だけど。fuck改めcazzo。

という思考の流れのあれがこうなってイタリア文化というか、testadicazzoというか、ローカル主義者というか、オルタナティブなあり方を愛する様になりまして、わたくしは彼の国の文化がとても好きになってしまったのです。これは安易に多様性とか言ってしまうと急に政治的になってしまって嫌でして、愛ですね。偏愛。偏愛の文化。そこからみた日本の文化、照葉樹林文化、寒冷地の文化、島国の文化、信州の文化、北信の文化、佐久の文化、諏訪の文化、わが家の文化、自分はどこから来てどこへ行こうとしているのか。そういう興味。結局の所自分にしか興味がないとも言えますけども。

いちおう、西洋哲学の勉強を専攻してましたので、やっぱり大陸一神教文化背景と島国アニミズム文化背景では違うわけで、どちらがいいとか悪いとかではなくて、鏡に丁度いいといいますか、良さと悪さを両方見た上で現状に根ざしながらより良い方へ行きたい。身内のサビを落とすなり磨くなり襟を自ら糺すのが良き道やろと。誇りとホコリが叩けば一緒じゃアホが粋がれ情けないやろおんどりゃぁがあがあ。


この文章がどこへ行こうとしているのかよくわからなくなってきましたが、わたくしが鬱屈としたルサンチmanから偏愛主義者へ変態しようともごもご動いているきっかけを与えてくれた興味の対象がイタリアの食文化なのでしたとお伝えしたく、今回のブログを書きました。

なので今でもわたしのInstagramのタグはなるべくイタリア語になってます。

愛だよ愛。 偏愛を語れ!


佐久臼田のpagopagoっていうパチンコ屋が、むしり取る気満々で好きさ。


2020/11/29



 
 
 

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